今から6年前、人間ドックでオールA判定であったにもかかわらず、乳ガンであることが発覚し、手術~放射線治療と歩んできた母さん。前回までのお話はコチラ。
6年前のお盆のこと
実は6年前のこの時期、友人が一人亡くなりました。
ガンでした。
私自身、その年に乳ガンが見つかり、一週間ほど入院して手術して退院。右のおっぱいに大きな傷跡を持つ身となりました。
幸いなことに経過は順調で、放射線治療、さらに抗ガン剤治療とホルモン治療があとに控えていました。そのあたりは、障害物競争で進むように、私の日常業務の一部として黙々とこなしていこうと思っていた、そんな矢先のことでした。
友人がガンで闘病中なことは知っていたし、かなり状況は深刻だろうことも、SNSの文面のはしばしからうかがえました。でも、ご本人の前向きで明るい個性もあり、そこまでひっ迫しているとは思っていませんでした。
ちょうど私が最初の手術で入院しているとき、彼女の病気の書き込みがありました。私は病室のベッドに寝転びながら、彼女の病気の深刻さに思いをはせたものでした。病気に優劣があるわけではないけれど、でも、私みたいな初期のガン患者が「つらい」なんて言っていたら恥ずかしいな、とは思いました。
その後、「再入院した」とのご本人の書き込みがSNSにあり、私を含めてたくさんのお友達がコメントをしました。それからわずかに4日後の、突然の旅立ちでした……。
なんだろう……。
悔しいとか。
悲しいとか。
そういう単純な言葉では表せない感情に、私は襲われました。
「虚を突かれた」というのが、いちばん近かったように思います。
もっとも彼女自身だって、発病する3年前までは、「健康保険証なんて歯医者以外に使ったことがない」と豪語していました。そんなに健康な人のところにも、ガンはやってくる。ということは、誰の身にもそれは起こりうることなのだと彼女は書いていたし、私もまったくそう思いました。
正直なところ、私はそれほど彼女と親しかったわけではありません。SNSで知り合い、何度かランチオフなどをして、お友だちになりました。華やかで社交的な彼女にはすでにたくさんのお友達がいて、その末席にこっそり加わった感じです。
面白い人でした。歯に衣着せず、はっきりと物を言い、不思議なユーモアがありました。 育ちが大変にいい人だというのは、文章のはしばしでわかりました。本物のお嬢様だからこそ、キツイことを書いても、イヤミにならない。とても頭のいい人だったのだと思います。
お通夜に参列して
共通の友人たちから訃報が回ってきて、お通夜に一緒に行かないかと誘われました。
……正直、そこまで親しくなかった私が参列するのはお邪魔ではないだろうか。親しい人たちのお別れの場で、野次馬みたいにならないか。
迷いました。
また、タイミング的に、リアルでガンを治療中の私が参列することはいいのか悪いのか、判断がつきかねました。直前まで迷いました。
でも、行っても行かなくても、複雑な思いは残る。だったら、行かなくて後悔するよりは、キチンとお別れをしておきたい。そう思うに至って家を飛び出しました。
お通夜の会場にむかう途中、バッタリと別の友人に出会いました。彼女は、私と違って、故人と親しくお付き合いをしていました。
急な訃報を聞いて、ずっと泣いていたと言う彼女の目は真っ赤でした。
「でもね、不思議なもので、すごく悲しくてずっと泣いているのに、お腹がすくのよ。心の中ではこんなに悲しいのに、それとはまったく関係なく、お腹がすくのよね。それが不思議で不思議でねえ……」
「そうだよね~。お腹はすくよね~。だって、生きているんだものね」と私。
お通夜では、他にも何人もの友人に会いました。
みんな、私なんぞとは違って、リアルに彼女と親しくしていたので、それぞれにいろんな思いを抱えていました。