コラム 5.5センス、信じますか?│京都の某寺で恋愛祈願中、突如現れたオジサンが放った一言【前編】

霊感、直感、虫のしらせなど、五感を超越した感覚の「第六感」。そんな「シックス・センス」がなくても、人は、ただならぬ「何か」を感じてしまう瞬間がある。あえて名付けるなら、それは「5」以上「6」未満の「5.5センス」。

不思議な体験に出合ったこと、ありませんか?

第1回は、私、アルム詔子の不思議な体験から。

帰省すれば、必ず訪れる京都の「某寺」。これまで病気平癒や試験合格など、多くの切なる願いを胸に手を合わせてきた。

しかし、こと「恋愛」に関してだけ、私は絶対に祈願しない。

じつは、ある出来事がきっかけで、二度と願うまいと心に決めたのである。今回は、その理由を書いてみたい。

ピンチのときには助けてもらえる?

それにしても「某寺」とは意味深。こんなふうに曖昧にされると、本記事のテーマ「私が祈願しない理由」より「某寺」ってどこよ? と、そちらの方にばかり気を取られてしまうかも。

まずは、その「某寺」のご紹介から。

JR京都駅から歩いて15分弱。白い土塀にぐるりと囲まれたコチラのお寺、遠目からでも五重塔を目印として難なく辿り着くことができる。春には桜、秋には紅葉と、ライトアップされた境内は圧巻。インスタ映えを狙った多くの観光客が押し寄せる、まさに京都の「ド観光名所」の1つである。

一方で、純粋に参拝にだけ来られる方も多い。なかには、お遍路さんの恰好をした方もちらほら。四国八十八ヵ所参りの最後に、高野山とコチラのお寺へお礼参りするのが一般的なのだとか。観光だけではなく、「信仰の場」としても名の知れたお寺といえる。

そんな「某寺」と私の関係はというと。

既に物心ついたときから、割と普通に足を運んでいたように思う。どうやら、祖母や母に連れられて、「某寺」での参拝が習慣となっていたようだ。ただ、よくよく考えれば、実家の宗派とは異なるため、非常に不可解である。どのような経緯で、誰が参拝を始めたのか、定かではないのだ。

そんな我が実家には、1つの暗黙のルールが存在する。ピンチのときには「某寺」へ。「いざ鎌倉へ」的な勢いだ。恐らくだが、これまでの「某寺」での祈願の積み重ねが、暗黙知となって共有されているのだろう。心配事があれば、お参りをして心の平穏を保つ。願いが叶っても叶わなくても、お礼参りとして足を運ぶ。

こうして、誰から教えられたワケでもなく。迷いごとがあれば、私は自然と「某寺」へお参りするようになっていたのである。

京都の某寺は広い境内も気持ちいい。
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