コラム 5.5センス、信じますか?│京都の某寺で恋愛祈願中、突如現れたオジサンが放った一言【後編】

「とられるで」という言葉の意味が分かった瞬間

それからしばらくして。ちょうど大学に入学する直前のこと。

アルバイト先の友達より、元カレの情報が入ってきた。なんでも、別れる直前に、他の女の子が彼に言い寄っていたという。そうか、彼はその子になびいたのだ。だから……。今思えば、あれやこれやと合点がいくことばかり。急によそよそしくなった理由が分かって、納得する。

確かに、薄々は感じていた。

しかし、私には問い詰める勇気がなかった。そんな事実を真正面から受け止めるくらいなら、先に別れた方が傷つかないと思ったのだ。そして、いうなれば、彼の方も同じ。興味を失った私に対して、言い訳する気も起らなかったということだ。

正直、裏切られた、悔しい、悲しいという気持ちがないワケではない。ただ、あれほど別れたくないと強烈に願ったのが嘘のよう。この「裏切り」の事実で、私の心は、彼を完全に吹っ切ることができたのである。すっかり元に戻った私は、桜のシーズン目前ということもあり「某寺」へ。

春の訪れを感じさせる暖かい日だった。

いつも通り、所定の場所へと向かう。私が手をあわせる先は、南門から入ってすぐ「左」の場所。立ち姿の弘法大師像がひっそりと置かれているところだ。何か具体的なお願いをするワケでもなく「元気になりました、ありがとうございます」と心の中で唱えたところで。

何の前触れもなく。

ふと、急にあの声を思い出した。

「とられるで」

あっ。

まさか、あの言葉……。

他の女の子に、彼をとられるという意味じゃ……。

そう気付いた途端、首の後ろに寒気を覚えた。全身が総毛立つ。この感覚は「ビンゴ」だ。つまり、私の仮説が正しいというコト。それにしても、なぜ、今まですっかり忘れていたのだろう。今思えば、完全に理解できる。あれは、「どうか別れさせないで」という私の必死な願いに対しての答え。「とられるで」という1つの警告だったのだ。

その事実が、すんなりと私の中に収まって以来。「某寺」で、恋愛事について祈ることはない。

「縁結び」の類ならともかく。

そもそも、特定の誰かとの恋愛など、神頼みするものではないのだとも思う。相手の心を変えさせたいだなんて、さすがの神様も無理に違いない。ましてや、恋愛とは、そんな力を借りてまで行うものでもないだろう。必死で修復したって、ダメになるものはいずれダメになる。そんな気がしてならないのだ。

えらい、カッコいい内容となったが。ただ、白状すれば。

正直、恋愛の顛末を知りたくないというのが本音。私は、単に臆病な人間なのだ。確かに「お告げ」的なものは有難いとも思う。しかし、それもいずれ分る結末なワケで。先走って、そんな知りたくない現実と向き合うなんてゴメンだ。

だから、私は。

あれ以来、二度と「某寺」で、特定の誰かとの恋愛を祈ることはない。

もう少しだけ、その恋を楽しみたいからだ。

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プロフィール

ライター/コラムニストアルム詔子

京都府出身のアラフォーライター。バリバリの組織人だった仕事漬けの生活を終わらせて、念願のフリーランスに。スタートは法律・教育・ビジネス関係のライターだが、今は歴史関連、神社仏閣、トラベル、職人探訪など分野を広げて取材、執筆を行っている。

プライベートでは、結婚・離婚・事実婚の「三婚」を経験。現在はパートナーと共に、日本各地を移住する生活を継続中。当サイトでは、「日日是迷走」のほか、事実婚までの道のりを綴った「おひとりさま脱出記」や、移住体験記の「趣味は引っ越しです」、不思議な話を集めた「5.5センス、信じますか?」を連載予定。