コラム なぜマスクを外す前と外した後の顔に必ずギャップがあるのか…を考えて見た【前編】

良いことも悪いことも、人生、迷うことばかり。そんな他愛もない日常をゆるゆると綴ったアルム詔子の「日日是迷走」。

今回は、「新常態(ニューノーマル)」の1つとして定着した「マスク」について。

誰しも、マスクの下は気になるものだ。

そんな「マスクあるある」の話を進めていくと、顔の印象はどのパーツで決まるのかという疑問に行き着いた。

今回は、マスクにまつわる…どこをどう転がっていくか分からない、そんな独り言のような話である。

取材で困った予想外の出来事とは?

新型コロナウイルスが世界に広がってから、はや2年が経った。

相変わらず、 現在もオミクロン株が日本のみならず世界で猛威を振るっている。 終息したかと思えば、ウイルスは姿かたちどころか名前までも一新し、再び私たちの前へと現れて、神経を摩耗させる。

それにしても、ああも耳慣れない名前ばかりだと、正直、コチラも一苦労だ。やっと言い間違えせずにスラスラ言えたかと思えば、すぐに新しい変異株に交代。ホントにたまったものではない。

しかし、なかなか慣れない名前とは逆に、あっさりと定着したものもある。それが「新常態(ニューノーマル)」といわれる新しい生活様式だ。なかでも、「マスク」は生活必需品として欠かすことのできないアイテムとなった。

新型コロナウイルスが出始めた2年前、道行く人が皆マスクをしている姿に、どこぞの異世界かと信じられなかったのも懐かしい話。今ではありふれた日常の光景となっている。

ただ、人々のマスク姿に慣れてきたとはいえ、一方で、これまでにはなかった様々な「困りごと」が出てきたのも確かである。

例えば、私に限っては、マスクのせいで「表情で答える」という芸当が封印されてしまった。いや、私に限定せずとも、京都人ならば、きっとこの感覚を理解してくれるに違いない。とかく、京都の人は、はっきりした物言いを嫌う。特に否定の際には、やんわりと婉曲的に、のらりくらりとかわすのが基本だ。

それゆえ、何かを断る場合には、バッサリと「否定」の語尾をなくし、その意味合いを表情で伝えるという離れ業を繰り出していたのである。問いのすべてに「まあ、ねえ…(「あらあら…すみません」を伝える謎の微笑み)」という感じである。

いかに京都府外の人から評判が悪くても、波風立てず相手に「NO」と伝える方法としては最適解だったのだ。しかし、「マスク」によって、大事な口元が見えなくなった。さり気ない否定の意思表示が禁じられ、不便極まりない事態を招いているのである。

さて、それ以外にも、個人的にだが、じつはもう1つ困りごとがある。

それは、初対面の相手がマスクを外したときに抱く「違和感」である。もっと端的にいうと、マスクを外した相手の顔が、自分の予想と大きくかけ離れるため、大層驚くのだ。その驚きが顔に出ていないか、相手に伝わっていないかと心配なのである。

マスクの下の顔は…予想外の連続!
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