コラム 愛は見返りを期待するものではないけれど…。「一方通行の思い」に悩むアラサー男が気づいた、本当に大切な存在

「アラサー」と呼ばれる年になった今、恋活と転職に励む社会人28歳コバヤシ。恋活の一環としてマッチングアプリもやっています。前回は、マッチングアプリで知り合った女性にひどい目に遭い、ショックで立ち直れなくなった話でした。これまでのお話はコチラ

この年になって再び実感するのは、どんなに相手を大切に思っていても一方通行であることの苦しさ、悲しさ。それは恋愛に限らず、友情に関しても。

愛って返ってくることが前提のもの?

前回のコラムでお話しした、マッチングアプリで知り合ったアオイさん(仮名)は、僕が今までで一番好きになった方でした。しかし、次のデートの予定が決まっていたにもかかわらず、突然のLINE未読スルー。僕が抱いていた思いは、どこにぶつければ良いのか分からず行き場を失いました。それはまるで、ジェットコースターに乗ったときに感じる浮遊感のような。何かにしがみつけばしがみつくほど怖さや苦しみは増すのに、手を放すことができませんでした。

人が何かを好きになることに制限も規制もする必要なんてありません。好きでいたいだけ好きでいれば良い。愛は返ってくることが前提のものでもない。そう分かっているものの、相手が自分に対して同じように思ってくれていないことは、何故こんなにも苦しくて悲しいのでしょうか。自分と同じだけ相手から返ってこないととてもむなしく、時としてムカムカするのは何故なんでしょう。

その悲しさは、大学時代にとても仲の良かった友人に関しても感じる機会が増えてきています。よく一緒にご飯や遊びに行っていた彼ら彼女らも、社会人になってからどんどん会えなくなっていく。僕が仕事で東京を離れ、地方に3年も住んでいる間に会う機会はなくなっていき、やっと東京に戻って来れても、グループLINEでご飯に誘ったときの反応が薄くなっていました。

友人の誕生日にお祝いのメッセージを送ると、「ありがとう!また飲みに行こうね!」などと返事が来るものの、それは時間が経っても実現せず。人々はあいさつなりするときに、何故そこまで深くも考えずにとりあえず「またご飯行こう」とか誘うんでしょう。いや、別にそのことについて憤りを感じているわけでは全然ないんですけど。

それぞれ環境が変わり、そこで新たにできる人間関係が自分の生活になっていくと、前にいたコミュニティとの関係も薄くなっていく。アラサーが近づいてくると、その大きな引き金は“結婚”や“出産”ということになっていきます。35歳になる女性の先輩は、「もう私なんて一緒に遊んでくれる友達が、皆結婚しちゃってさ(笑)。会えるうちに友達と旅行とか行っといた方が良いよ!」と言ってきます。その先輩は友達の代わりに母親と旅行に行ってばかりになっているとか。先輩は顔も性格も良い方ですし、彼氏ができないような方では全然ないんですけどね。世の男性は何故20代の女性ばかりに目を向けているんでしょうか。

だんだん疎遠になって、使わない連絡先も増えていきます。
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