コラム 【酒とイタタ!】坂口杏里さんもこのタイプ?「懲りない」という沼にハマりやすい女性の特徴~その2~

「懲りない」という状態は、同じあやまちを繰り返す、ということ。

何件ものバーから「出入り禁止」を言い渡された女性、

娘にとめられても、若い男性に貢ぎ続けてしまうセレブ主婦……。

坂口杏里さんのように、おかしな行動や男性関係で同じあやまちを繰り返す女性たちの例を、その1でご紹介しました。~その1~はコチラ

本人たちも「この状況から抜け出したい」と願っているのに、過ちを繰り返してしまう人々の共通点は何でしょうか?その原因に目を向けると、「懲りない」という状況は、もともと特別だらしない人だけが陥る状態ではなく、誰もが陥るおそれのあるブラックスポットであることがわかります。決して他人事ではないのです。

後編では「懲りない」ループにハマってしまった女性たちの共通点と、そこから抜け出した経緯をご紹介しながら、悪いサイクルに陥らないための方法、そしてもしも陥ってしまった場合の打開策を探ります。

持っていた「素敵なモノ」を無くした時、その事実を受け入れられない人が「懲りない沼」に陥ってしまう

前編で挙げた女性達の例と、坂口杏里さんの例には、共通点があります。それは、かつて持っていた「素敵なモノ」を無くしている点、そして、その現実に本人が慣れる事ができない、という点です。

バーで出入り禁止を頻発させたサラちゃん(仮名:20代会社員)には、実はその前に、とても仲良くしていたバーが閉店してしまった、という経緯があります。地方から上京して働くサラちゃんの交友範囲をひろげた場であり、マスターは悩み相談のできる信頼できる兄のような存在だったそう。そんな、サラちゃんにとって大事な場所がなくなり、マスターも引っ越してしまった。その現実に慣れる事ができず、サラちゃんは「違うお店」とわかっているのに、無くした店と同じ役割を求めてさまよってしまったわけです。

息子のように若い男性に貢ぎながら見せびらかす、という行為がやめられなくなったキョウカさん(仮名:40代セレブ主婦)は、手塩にかけて育てていた一人娘が成人して独り立ち……、つまり「育児」という長く大きなトピックを失ったところでした。

加えて、生まれつき容姿端麗なキョウカさんにとって、加齢による容色の変貌も一因だったと思われます。資産家のご主人に望まれて結婚したものの、結婚後はご主人は外で遊び三昧、女性としての自信がゆらぐ中、「母」という役割に生きがいを見出していた。そんなキョウカさんが「母」としての役目まで失い、それまで抱えていた女性としての鬱憤までもが一気に噴出したのです。「息子のような年齢の若い男性にチヤホヤされる」「そんな自分を見せびらかす」という行動は、癒しと憤りがないまぜになったはけ口だったのでしょう。

「一度持っていた素敵なモノを喪失する」という経験の切なさは、はかり知れません。

比較的軽い例になぞらえると、「一度経験した生活水準のランクを落とすのは大変である」というのもそうです。忙しい女性が週に5回外食をできていたのに、何かの都合で節約を強いられ、一切外食に頼れない生活に代わってしまったら、それだけでも大変なストレスになるでしょう。

「自分は良くない」「もうしない」と心に誓っても、本当に心が落ち着くまでNG行動は収まらない

同じ「週5回の外食をやめた」人でも、「料理に興味が出て自炊を楽しむようになった」や、「節約を楽しむ意識が生まれ、やりくりのアイデアを考える面白さに目覚めた」のであれば、状況はまったく違います。それは「外食ができなくなった人」ではなく「外食をしない生活に順応したい人」という事になります。

今回挙げた女性たちのように「好きなお店が閉店した」「子供が自立した」場合でも、本人の意識さえ前向きであれば、おかしくなる事はありません。別のお店で別の楽しみ方を見つけたり、夜遊びや子育てに使っていた時間とお金を習い事などにシフトしたり、変わった後の環境を受け入れる気持ちがある人にとっては「好きなお店の閉店」「子供の自立」等も、単なる生活の変化に過ぎないのです。

問題となるのは「本人の失ったモノへの執着」です。これが消化しきれないうちは、新たな現実を受け入れたり、慣れたりすることはできません。厄介なのは「あの大切なモノを失った悲しみのせいで、自分は歪んだ行動を続けている」という自覚がないケースが多い事。第三者から見れば「あれを失ったせいで、この人はおかしくなっている」と一目瞭然であっても、たとえばサラちゃんなら「いくら仲良かったと言っても、単なるお店だからさ!なくなるのはしょうがないよ」と笑っていましたし、キョウカさんは一人娘の自立を、表面上は誇っていました。「娘の自立は喜ぶのが良い親」という常識や、「自分は立派に子育てをし、娘に依存していたわけではない」というプライドが、自分自身の本当の気持ちに向き合う目を曇らせてしまうのです。

「誰かにとってはただの変化で済むことが、自分にとっては病むほどの執着を生む対象」だという事を、人はなかなか認められません。しかしそこに関して、第三者が「ほんとはこうなんじゃない?」と切り込む事も、相手への真実の愛情と、相当の覚悟がなければ難しいでしょう。ですから「懲りないループ」に陥ってしまった人が浮上するのは、本当に難しいのです。

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