コラム 【もやもや】杉田水脈議員擁護の論文掲載で『新潮45』が休刊になったけど、結果「杉田議員が悪い」ってことでいいの?~その1~

出版社の新潮社が、月刊誌『新潮45』の休刊を発表し、ネットで賛否が巻き起こっています。とはいえ、周囲のアラサーは「スマホに関連記事がポップアップ表示されるから、何か大きなニュースになってるんだなとは思っていたけれど、それで満足しちゃって深堀していない」なんていう人が多いです。「そもそも『新潮45』という雑誌があることも知らなかった」という声も聞こえてきます。みんなが知っているところで「『nicola』を出してる出版社の読み物雑誌だよ」、と言うと「えー、『nicola』って新潮社ってとこの雑誌だったんですかー」ですって。それも致し方なしです。読者にとっては、その雑誌が好きであれば、それがどこから出版されているかなんてことは、関係ないですもんね。

それに、『新潮45』は、雑誌名からもわかるように45歳あたりをターゲットにした雑誌ですし、編集長によって取り扱うテーマやジャンルも変わります。いっとき、女性編集長時代に女性向けの企画もありましたが、現在はノンフィクション系。政治や社会に対する持論を、様々な立場の人が寄稿しています。論客はちょっと右寄りかな?っていう方が多く、この連載で書いた「杉田水脈議員”子供を作らない人は生産性がない”発言が無視できずに震える理由は、怒りか悲しみか」で取り上げた論文「『LGBT』支援の度が過ぎる」を杉田水脈議員が寄稿したのが『新潮45』の8月号です。そのときには雑誌は単なるプラットフォームだったわけですが、10月号で「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という特集企画を組み、杉田水脈を擁護する方々の論文を掲載しました。これで一気にプラットフォームから当事者になった。少なくとも、世間はそう思ったようです。

そして、その擁護が文字通り「度が過ぎる」と炎上。社内からも『新潮45』に対する批判の声がTwitterで上がると同時に、「『新潮45』を出し続けるならもう新潮社の本を扱わない」と言う書店がでたり、「新潮社と仕事をしない」「連載はひとまず降りる」と言う作家さんがでたりするなか、休刊が発表されました。理由としては、「企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていた」として「深い反省の思いをこめて休刊を決断した」との発表がありました。

つまり、「手抜き仕事のせいで、変なものを世間にまき散らしてしまってすみません」ということなんだと思います。では、その「変なもの」はなんでしょうか。今回、掲載された杉田水脈擁護論文でしょうか。つまり、大元となった杉田水脈議員の持論は新潮社的にもおかしいということで?それとも、十分な原稿チェックをしていれば、差別表現なども控え、原稿をもっとまともな議論ができるクオリティーまであげられた、それができない体制で出版物は出せないから休刊、ということでしょうか。そこがとても気になります。後者の場合だと、新潮社は論客の言い分については、アリともナシとも言っていない、ということになるからです。でも、今は休刊になったことで、なんとなく「『新潮45』は差別アリ路線を反省しています。差別的発言者の代表として休刊しました」ぽく捉えられているように思えてなりません。掲載=代表でしょうか。来月、逆にさらなる批判論文を載せたかもしれないですよね? 

差別的な思想を持つ当人たちは、どうしてるんだか

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