キリンビールが3月に発売したクラフトビール「スプリングバレー 豊潤<496>」(以下「スプリングバレー」)の売り上げが好調です。ビールラバーの記者も大好きです。このブランドの陰に、スゴ腕マーケッターありと聞いて、取材してきました。(その1はこちら)

キリンビール事業創造部スプリングバレー担当
2006年キリンビール入社。カクテルやチューハイの開発に携わった後、「グランドキリン」の開発、「スプリングバレーブルワリー」の創設メンバーとして、「スプリングバレー」ブランドを立ち上げた。
「スプリングバレー」への道
「グランドキリン」という一大プロジェクトを成した吉野さん(それまでのお話はその1で)、気がつけば20代後半になっていました。30を前に吉野さんが迷ったのは、仕事か結婚か……といったことではなく「私はこれまでたくさんのお酒の開発をしてきたけれど、それは本当にお客様の幸せにつながっているのだろうか?」ということ。
メーカーに勤める人にとって、これは微妙かつ根本的な問いです。
その頃、吉野さんが社内で薫陶を受けていたのが、「グランドキリン」でタッグを組んだブリュワーの田山智宏さん、缶チューハイ「氷結」やノンアルコールビール「キリンフリー」などのブランディングを手がけた辣腕マーケッターの和田徹さんでした。
「和田さんは私の大先輩。当時は部署も違い、いっしょに仕事したことはないのですが、話がとっても面白い人で、よく、くっついて飲みに行っていました。歳の離れた飲み仲間という感じです」
3人で日本のビールの将来を語り合っていると、その和田徹さんが、吉野さんが大学時代に受けたマーケティング講義の講演者その人であることが発覚します。
「和田さん! 私、和田さんの講義で将来を決めたんですよ!」
人の縁とは不思議なものです。ビールのおいしさとは、価値とは? そんな熱い議論の中から生まれきたのがクラフトビールブルワリー構想です。2012年、クラフトビールという言葉が巷でも聞こえ始めた頃でした。
「よし、桜子、君に任せた」
企画書の作成は、若きマーケッター吉野さんに任されました。しかし、キリンビール広しといえども、クラフトブルワリーのプロはいませんでした。クラフトビール事業部もありません。だれに何を、どう相談すればいいの? 吉野さんはひらめきました。社長だ!
2012年5月、吉野さんは社長室に直談判に訪れます。手にしたプレゼン資料、本人曰く「紙芝居みたいな資料」で熱演。舞台役者、吉野桜子の面目躍如だったのかもしれません。磯崎社長からゴーサインが下ります。
2012年といえば、東日本大震災の翌年です。人の価値観がゆらぎ、見直された時期でした。
「もうマーケティングのデータや宣伝で商品が選ばれる時代じゃない。本当にいいものが求められている。モノづくりを突きつめたい、そんな思いがフツフツと感じられました」
キリンビールのクラフトビールブルワリー構想は、そんな社会の微妙な変化を察知した、ひとつの表れだったのかもしれません。