仕事&マネー 【貧困女子】4回の語学留学をしても、現在は年収120万円のパン屋の店員~その1~

女性誌『Suits WOMAN』で注目を集めた「貧困女子」。これは、ある時点までは普通の毎日を送っていたのに、気がつけば“貧困”と言われる状態になってしまった女性たちの体験談。なぜそうなってしまったか、そしてその後の人生を追ったレポートです。

 

今回、お話を伺ったのは海外留学経験が3回もあり、英会話に堪能でありながら、年収120万円のパン屋の店員をし、シェアハウスに住んでいる石田さやかさん(仮名・36歳)。高校時代に交換留学生としてカナダの高校へ1年留学。日本の高校を卒業してからは、カナダの短大に進学。帰国後、その後はカリフォルニアの大学へ2年留学し、23歳でアメリカ人男性と結婚。25歳で離婚するまでカリフォルニアで過ごし、帰国。職を転々としつつ今に至るというのが石田さんのプロフィール。

 

「留学の費用は、地元である文京区・湯島で医療器具会社を経営していた祖母が出してくれました。全部で1千万円くらいはかかったんでしょうね。 ひとりっこだった私の父が50歳、母が38歳のときに生まれたのが私で、ホントに甘やかされて育ったので、それが当然だと思っていました。

ただ、しつけや監視の目が厳しくて……付き合う友達、外出先、習い事などはすべて大人たちの理想通りにさせられていました。物心ついてから、英会話、水泳、琴、着付け、茶道、書道、ピアノ、バレエ、バイオリンなど一通りかじっています。そういえば、小学校の時になぜか薙刀(なぎなた)の教室にも通いました。もちろん幼稚園から私立の女子校です(笑)。しかし、中学校の頃は親への反抗から、渋谷や六本木に遊びに出ていました。遊びに行くたびに、両親に閉じ込められそうになったりしましたが、祖母が両親をなだめてくれて“タクシーで帰ってくるんだよ”と1万円くれました。

この中学校時代はいろいろあって、結局素行不良が問題になって、高校の内部進学が難しくなり、都立高校に進学しました。当時、“自分を変えよう、自由に生きよう”と躍起になっていて、両親にも祖母にも反抗したのを覚えています。その反抗のひとつの表れが、カナダへの留学でした。旅立ちの日、祖母が山ほどお守りを持ってきてくれたのに、そっけなく突っ返したことを今でも後悔しています。だって祖母はその直後に亡くなってしまったので」

 

▶▶▶▶▶石田さんの自分勝手+イケイケ人生は続きます

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