仕事&マネー 【貧困女子】女、一生独身。老後不安で購入の2600万円ボロマンションで貧困生活3年目~その1~

女性誌『Suits WOMAN』で注目を集めた「貧困女子」。これは普通の毎日を送っていたのに、気がつけば“貧困”と言われる状態になってしまった女性たちの体験談。

今回はフリーランスデザイナーの川西恵理さん(仮名・39歳)からお話を伺いました。彼女は東京・杉並区高円寺のマンションで一人暮らし。築30年、約40平米のDINKS用マンションは、彼女の持ち家です。不動産資産があるけれど貧困。なぜこんな状況になってしまったのでしょうか。

「都内の短大を出てから、エディトリアルデザインを学べる専門学校に行き、24歳の時に雑誌やフリーペーパーのフリーのデザイナーになりました。憧れだった“雑誌のヒト”になれてうれしかったですね。でも全然食べられず、夜のアルバイトや、結婚式の配膳係がメインの収入でした。友達からきたタダ同然のギャラで質の悪い仕事をしているのは、社会人経験がないからだと27歳のときに、ある編集プロダクションに入社。そこでは当時ブームだった“丁寧な暮らし”を提案する書籍や、ナチュラル系のフリーペーパー手がけていましたね。仕事は楽しかったし、仕事のテクニックや社交術など多くを学べましたが、とにかく薄給で。5年勤務しても給料は毎月15万円。1日10時間以上働いても仕事は終わらないし、発熱しても不正出血をおこしても会社に行っていました。自分の手がける本では“半年先の朝ごはんのために、丁寧にお味噌を仕込みます”という内容をレイアウトしているのに、自分はカップラーメンをすする時間もなく、半年先の生活が見えない毎日でした」

それはいわゆるブラック企業なのでしょうか? と質問すると、恵理さんは“それは違います”と即答。

「ブラック企業って、好きでもないことを強制的にさせられる会社のことですよね? でも私のいた会社は、少なくとも好きな仕事をしていたので、ブラックかどうかと言われれば、そうではないと思います。給料は安いですが、アットホームな社風で、夕飯は会社負担で出前をとってくれたし、グアムやタイなどに行く社員旅行もありました。15人いた会社のメンバーはみんな優しかったですよ。辞めてから分かったのですが、この会社は社長に文句を言わないと、ずっと同じ給料で働き続ける、という文化だったんです。私より仕事ができない同期の月給は、私より7万円多い22万円でした。毎年、社長に“給料上げろ!”と直談判していたそうです。私は親から“お金のことで人に文句をいうことは、卑しい人間のすることだ”と教えられたので、そんなことはできません。この世の中は黙っている人がバカを見ますね。ホントに」

恵理さんは、千葉県市原市出身。両親は高卒の地方公務員だといいます。裕福ではないけれど、毎年家族旅行に行くだけのゆとりがあったとか。だから学生時代はもちろん、この会社を辞める32歳のときまで仕送りを続けてくれたとか。

「学生時代は月10万円、社会人になってからは3万円、毎月私の口座に振り込んでくれました。親ってありがたいですよね。この仕送りがストップしてしまったのは、私が31歳の時におじいちゃんが亡くなったことです。建設会社を経営していた祖父には、多額の借金があるとウワサで言われていました。それを相続放棄すればよかったのに、“もしかしたら何か遺産があるかもしれない”と父の兄弟は地元の行政書士がすすめるままに、遺産分割協議書という書類にサインをしてしまったんです。しかし、遺産を整理してみると、祖父には遺産は何もなく、あったのはウワサ通りの多額の借金。そのうち、400万円が父にのしかかってきました。これが私の実家の家計を圧迫し、父と母は離婚寸前の大バトルに発展したのが9年前です」

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パチンコにハマる父親、ネットワークビジネスに興味を持つ母親、実家に迫る貧困……

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