現地で付き合っていた料理人の彼が帰国するタイミングで、引き上げることにします。
「あのままアメリカにいても意味がないことを感じました。音楽もアートもダンスも好きだけど、仕事にするには特別な才能とコネと根性がないとダメ。現地のガイドや飲食店の仕事も限りがあるし、帰国した方がいいと思ったんです」
帰国後は、結婚式専門のカメラマンの助手になります。
「写真も勉強していたので、アート系の仕事がしたくて、カメラマンやアーティストのアシスタントになったのですが、そこそこ仕事しているアーティストの現場って、めっちゃ厳しい。『本気でフォトグラフファーになる覚悟があるの?』と聞かれ、2時間でクビになったこともありました。
弟子って、ほめて伸ばさないとだめだと思う。あんなに切り捨てるようなことを言われたことなかったです。あの時はお金もなくて病みました。友達の実家に居候できたので、家賃を払わなくてよかったのが幸いしました。結局、結婚式専門のカメラマンの助手になったのですが、給料は立ちっぱなしで日給1万円だし、土日がつぶれて何もできない。はっきり言って、キレイじゃない女性が悦に入っている姿を撮影するのもつらかった。それに、平日も仕事しないと生活していけないので、やめました」
東京で生活するのは無理だと感じ、一時的に地元に帰ります。
「中学時代の先輩や、元彼と話していても、一応首都圏なのに、考え方が古くてびっくりしました。まだ22歳なのに、友達がみんなママになっていたのも衝撃的でした。義父に結婚を進められ、『結婚したらオマエは楽できるぞ』って言われたんですよね。女は結婚したら仕事を辞めるという考え方にゾッとして、再び東京に行くことにしたんです」

留学していたのは、西海岸エリア。日本のIT企業の拠点でアルバイトとして働いていたこともあるが、仕事は続かなかった。
私は世界を見ていたのに、評価されない……ジレンマで円形脱毛症に。~その2~に続きます。