堅実女子ニュース&まとめ 【私の場合】ブラック幼稚園の営業ノルマとモンペの攻撃、熱血先生が病む心~その1~

「娘を育てるのは楽しく、夫婦仲も円満で、幸せだったと思います。夫も家族3人の生活を楽しんでいました。5年後に、夫に関東近郊に戻る辞令が出ました。そこは夫の地元でもあったし、娘も翌年には小学校に上がります。ここでの赴任は長くなると感じて、私も再就職することにしたんです」

その話をすると、義両親が大反対。「お母さんが家にいなくちゃ、子供がかわいそうでしょ」「夫の給料でやりくりするのも、妻の力ですよ」などと言われてしまう。

「いつの時代の話だよ、と思うと同時に、私自身も理想の母を演じていた。『母だから、我慢しなくちゃいけない。子供のために頑張らなくちゃいけない……』などと義両親に言われてたんですよね。『自慢の息子のデキる嫁』になりたかったんだと思います。夫はいわゆるハイスぺ男子で、比較的モテた。それなのに、結婚相手に私を選んだ。その理由を『信頼して家庭を任せられるから』と言っていたことを、思い出したんです」

しかし、もともとの負けん気を発揮し「自分の子どもを他人に預けて、他人の子どもを見るなんて信じられない」と言われながらも、就職活動をして地元の幼稚園に採用された千秋さん。そして、33歳から35歳までの2年間そこで働いたのですが、ここがブラック幼稚園だったのです。

「口を開けば女性蔑視と、パワハラの園長先生。側近の古参の先生が5人、後はイエスマンだけという職場の環境でした。子供たちよりも園長と側近の先生を優先し、雑用を押し付けられた若手の先生がすぐにやめてしまう」

子供たちのバスが来る前に出勤して出迎え、バスを送り出した後に遊具の点検、会議などを行ない、園長先生から言われれば、自宅の草むしりもさせられ……それでも千秋さんは歯を食いしばって頑張っていました。しかし、商売っ気を出した幼稚園の方針に、徐々に蝕まれるようになっていきます。

高学歴と熱心さで、独身時代に勤務していた保育園では、保護者からの信頼が厚く、子供から人気があった。

不安定な我が子と、働く罪悪感……過労で激太りしたところで、保護者のセクハラのターゲットになってしまう~その2~に続きます。

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