勤めていた会社の吸収合併が決まり、退職を決意した宮内涼子さん(35歳・仮名)。しかし、コロナ禍であること、そして自身の転職回数の多さがハンデとなり、転職活動では苦戦を強いられます。〜その1〜はコチラ
ここからは、なぜこんなに転職回数が多くなってしまったのか、そしてハンデを乗り越えコロナ禍で転職に成功した理由を深堀していきます。
不運が重なったことが転職回数の多さの理由
まずは、これまでのキャリアについて改めて伺いました。
涼子さんは専門学校を卒業後、デザイナーとして働き始めます。それなりに大きな広告会社でバリバリ働き、毎日帰りが終電間際になることも多かったそう。2年ほど勤めた頃、激務による体調不良が発生。会社に行くことさえままならなくなってしまいました。
「毎日終電、酷い時は会社に泊まることもありました。疲れ果てて、この時は勢いで退職したようなものです。それから大手企業はもういいや……と思い、小さなデザイン会社に転職。でも、1年くらい働いた後に、まさかの倒産をしたんです」
連続の不運に落ち込んでしまった彼女は一旦就職を辞め、アルバイトでデザインの仕事を始めます。
しかしアルバイトのチラシ制作は驚くほど楽しくなかったと言います。
「言われたデザインを作るだけなので、死ぬほどつまらなかったですね。個性も出しちゃいけないし、ロボットみたいだなと……。単純作業が延々と続く仕事だったために、半年で辞めてしまいました。この時は23歳、すでに3社辞めていることとなります」
4社目で初めてゲーム業界へと足を踏み入れることに。
「元々イラストを描くことが得意でしたし、漫画やアニメも好きでした。オタクっていうほどオタクでもないんですけど、単純なアニメ好きって感じですね。スマホゲームがちょこちょこと出始めた時だったので、求人もそこそこにあって。物は試しだ!と思い、面接を受けてみたんです」
そこで契約社員として採用された涼子さんは、ゲームに登場するキャラクターのデザイン担当として働きます。ゲーム会社では今までにないクリエイティブな仕事に携わることができ、仕事はとても楽しかったそう。
しかしあまり大きな会社ではなく、ヒットタイトルもなかったため業績不振に。結果、2年で契約を打ち切られてしまうのでした。
「その後もゲーム会社に括って職場を探したんですが、次も契約社員でした。3年ほど働いても更新の話は出ませんでした。今からちょうど7年前で、ソシャゲ業界もイケイケだったんですけれど……。働きたい会社が見つからなかったので、一旦IT専門の人材派遣会社に登録することにしたんです」
そして6社目は、〜その1〜でも話した、元勤務先を吸収した例の企業だったと言います。