終わりの見えないコロナ禍で、現在も4都府県に緊急事態宣言が発令されています。そんな中、東京を離れて地元に帰った人たちも多いと言います。今回お話を伺った繭さん(仮名・34歳)もその1人。地元に戻ろうと思ったいきさつ、現在の生活についてお話を伺いました。
田舎を離れ、キラキラした東京ライフは毎日充実していた
繭さんは転職で10年前に上京してきました。現在緊急事態宣言が発令されている兵庫県の山沿いの町出身で、両親と2歳下に妹のいる4人家族。大学受験のときに一度上京を試みますが親の大反対に遭い、一度目の就職も親に激押しされた関西の企業を選びます。
「私は派手なものが好きというか、田舎で生まれ育ったので都会に対する憧れがずっとありました。東京に憧れたきっかけはファッション誌です。街中にいるオシャレな一般人のスナップがたくさん掲載されていて、そこに映るものすべてがキラキラして見えました。
でも、有名大学に行けるほどの学もなく、親の反対を押し切っても生活できないので東京への大学進学は諦めて、地元の短大に進学しました。そこからは彼氏ができたり、親友と呼べる子ができたりですっかり東京熱が冷めていたものの、彼氏との別れと会社を辞めたいというタイミングがバッチリ合ってしまって。ある程度の貯金ができた24歳のときに、念願の上京をかなえました」
転職先は中小の制作会社だったものの、派手好きと自身でも認識しているように最初に暮らしたのは中目黒。給料に見合わない高い家賃を払うために、豪華なランチを食べるために、その他のものは節約し続けました。帰省も節約のためにしないことが多かったとか。
「10年間の中で帰ったのは10回もないと思います。だって1回帰省すると3万弱は飛びます。当時家賃は10万ほどで、手取りは20万あるかどうか。もう生活はギリギリでした。周りに合わせてオシャレもしないといけないし、遊びにも行きたい。一度目の就職のときは実家通いだったので、家賃代がない分生活レベルを保つことができたんだと思います」
30歳手前になると実家からプレッシャーが。
「まぁよくある親からの『早く結婚しろ』という圧力です。結婚はいずれしたいという気持ちはありましたが、東京では同世代で独身の人たちで溢れていた。まだまだ遊びたい思いもありました。せっかく年齢と比例して給料も上がってきているのに、家庭に入りたいなんてまったく思っていませんでした」