堅実女子ニュース&まとめ 大ヒット『ファッション イン ジャパン』展の見どころは?担当学芸員にインタビュー

国立新美術館で大好評開催中の展覧会、『ファッション イン ジャパン 1945-2020 ―流行と社会』。

テレビや新聞、WEBなどさまざまな媒体で取り上げられ、目にした人も多いはず。

史上初の、戦後から現代までのファッションと社会の関わりをひも解いたこの展覧会は、約820点の作品(うち、約315点の衣服作品と約250体のマネキン)と、約70本の映像という圧巻の物量に驚かされる。

これらを集めるには途方もない時間と手間がかかったであろうことは素人でも想像がつくのだが、この展覧会はどんな意図をもって企画され、どうやって実現できたのだろうか。

本展を企画担当した、国立新美術館の主任研究員・本橋弥生さんにお話を伺った。

国立新美術館の主任研究員・本橋弥生さん

日本のファッションの「熟成期」をきちんと見せたかった

――大好評の『ファッション イン ジャパン 1945-2020 ―流行と社会』(以下、『ファッション イン ジャパン』展)ですが、開催してみて来場者の反応などをみて、どう思われますか?

「直接的なコメントは、まだそんなにいただいていないのですが、幅広い年代の方が会場に足を運んでくださっているのが印象的です。

学生さんが多いですが、一番遠いかなと思われた70代くらいの男性の方が見てらっしゃったり、いろいろな方がお友達同士で楽しそうに盛り上がっているのを見かけると、嬉しく思いますね」(本橋さん、以下同)

――そもそも、なぜ『ファッション イン ジャパン』展を企画しようと思ったのですか?

「今の日本のファッションを知るためには過去からの流れを知りたい、とまず思いました。

’70年代頭に、三宅一生さん 、髙田賢三さん、山本寛斎さん、鳥居ユキさんたちが日本のファッションを発表し、世界で高く評価されたというのは、みんなが知っていることで、革新的でとても重要な出来事です。

かの有名な山本寛斎さんの作品。実物を初めて目にした人も多いのでは。

でもそれより前のことに関していうと、海外の展示で日本のファッションが語られているのを見ても、まるで突然変異のように、’70年代に日本からファッションデザイナーたちがでてきました、という文脈になっていることに違和感を感じたのです。

というのは、今までの歴史を振り返ってみても、絶対そんなことはないはずなのです。

たとえばウィーンの世紀末の美術をとっても、突然あんなものが出てくるわけはなくて、100年前に種は撒かれていたんですね。それが時間をかけて少しずつ熟成していって、ある瞬間にバッと花ひらいたもの。

同じように、日本で’70年代に花開いた素晴らしいファッションをきっかけに、それ以降も高く評価されていくのを見せるならば、その起源とういか、花ひらくまでのに何があったのかも、きちんと見せたかったのです。」

――戦後から’70年代までのエリアには、資料でも見たことがないようなものがたくさん出てきました。

「今は洋服を着るのが当たり前になっているけれど、戦前はそうではなかった。そもそも、日本人はなぜ洋服を着るようになったのか?ということを、きちんと確認しておきたかったんですよね。

そこに大きく影響したのは、やはり戦時中の国民服ともんぺ、そして’50年代の洋裁ブーム。女性たちが、洋裁学校に殺到したという熱、それがすごく大きかったんだと思います。そういうところから続いてきて、今があるだなと」

――ファッションの年表などだと、いつどんなデザイナーがいて、というのが中心になりがちですが、日本のファッションの“熟成期”を支えたのは、一般の女性たちの「自分たちも洋服が着てみたい、ないから作ってみよう」という熱だったんですね。

’30~40年代に流行した洋風な柄を取り入れた銘仙の着物。零戦モチーフに、戦時下の色が感じられる。

「大勢でつくっているような展覧会」だから集められた膨大な展示物

――この展覧会で誰しもが感じるのが、コシノジュンコさんもおっしゃっていましたが「よく集められたな」ということ。どうやってこの約820点もの展示物のある展覧会をつくることができたのでしょうか。

「本展は私ひとりではなく、4名の学芸員で手がけています。島根県立石見美術館のおふたりと、こちら(国立新美術館)のふたりですね。

10年ごとに区切って4人で担当を分けるやり方をしました。対象となる期間が長く全部のことを取り上げられないので、10年ごとにトピックスをたてていきました。

そこから、こういった作品、こういったブランドが必要だよね、というのを洗い出してあたっていき、なかったらまた次をあたる… …ということを繰り返したら、すごい数になりました。でも全然、網羅はできていないと思っています。

――前回、本橋さんにお話をお伺いしたのは2017年の「ミュシャ展」のときでした。当時のインタビューで「ファッションに興味がある」とおっしゃっていましたが、すでに準備が始まっていたとか。

「そうですね、あの頃はちょうど着手し始めたころかもしれません。2020年のオリンピックに合わせて開催されるように組んでいたので、3~4年くらいかかりましたね。」

――枠組みからモノを集めて実際に展覧会の形にするまでの間に、想定と違っていたことや大変だったことはありますか?

「コミュニケーションでしょうか。メールや電話だけで済むわけはなく、お会いしてお話しする必要があることもたくさんありました。

でも、そのおかげで貴重なお話を伺うことができました。また、今回の展示はほとんどブランドさんがたまたま保存していたものや、ブランドの方が自宅の倉庫に保管していたものなのですが、『こんなの見つかったよ』と教えてくださったり、人を繋いでくださったりしたのも、コミュニケーションあってこそかなと感じます。

ありがたいことに各ブランドさんがとても協力的で、『今、こういうものを見せなくてはいけない』と一緒につくるような気持ちでいてくださったのかな。学芸員は4人なのですが、結果的にすごく大勢でつくりあげたような感覚になりました。」

――実際に服を集めてみてから感じたことはありますか?

「一般の方が着ていた服というのは、本当に残されていないんだなということです。

’50年代の洋裁ブームのころの服は、桑沢洋子さんは東京造形大学、杉野芳子さんは杉野服飾大学と、学校がある場合はまだ持っていて残っていたものを展示できました。でも一般の女性が雑誌の一番後ろについてきた型紙を使ってつくったような洋服は、見つかりませんでした。

これは’70年代や’80年代でも意外とそうなんです。たまたまニコルは、デザイナー・松田弘光さんの作品は奥様が全部とっていらしたのでたくさんあったり、今でもある会社の方たちのものは、まだ見つかったりもしたのですが……。

ほかにも紹介したい方というのはたくさんいらしたのですが、みなさん服や資料は取ってないというケースがすごく多かったのです。

デザイナーさんたちは未来をつくっていくので、過去の作品は振り返らないという方も多くて、見つからないものは数多くありました。

美術品でもないので、普通に着古されて捨てられていってしまう。海外だとそういったものを集めた美術館があったりするんですけどね。

’80年代のジュンコシマダの作品。
1 2