堅実女子ニュース&まとめ 弱った心にじわ~っと効く、とっても普通の人間ドラマ―映画『Our Friend/アワー・フレンド』

アメリカの雑誌「Esquire」に掲載されたエッセーをもとに、ドキュメンタリー出身のガブリエラ・カウパースウェイト監督が映画化した『Our Friend/アワー・フレンド』。

ジャーナリストの夫が親友の助けを得ながら、ガンで余命宣告を受けた妻との最後の日々を積み上げていく――。そんな美しい人間ドラマです。ごく普通にも思えるこの物語が、なぜこれほどに観る者の心を捉えるのか? ちょっと考えてみました。

(c)BBP Friend, LLC-2020

『Our Friend/アワー・フレンド』
(配給:STAR CHANNEL MOVIES)
●監督:ガブリエラ・カウパースウェイト ●原作:マシュー・ティーグ ●出演:ケイシー・アフレック ダコタ・ジョンソン ジェイソン・シーゲル チェリー・ジョーンズ グウェンドリン・クリスティー ほか ●全国公開中

【Story】
ジャーナリストのマット(ケイシー・アフレック)は、舞台女優の妻ニコル(ダコタ・ジョンソン)と二人の娘、モリーとイーヴィーとアラバマ州フェアホープに暮らす。

ニコルの出演した舞台スタッフだったデイン(ジェイソン・シーゲル)はマットと気が合い、友達付き合いがスタート。2012年、ニコルにガンの宣告が。化学療法を受け、家事と育児と介護で手一杯になったマットを助けるため、仕事も恋人も放り出してニューオリンズからやってくるデイン。しかしニコルの病状は進行し、やがて余命宣告を受ける。

嘘のなさに、ぐっと惹き込まれる人間ドラマ

これは、とても普通の人間ドラマです。主人公のマットとニコルは100%完全に善人というわけではなく、仕事に悩んだり、道ならぬ恋に揺れたりします。

そんな彼らの人生はニコルの病によって暗転するのですが、人生にそうした予想外のビックリ! が起きるのもよくあることです。そして二人はその予想外のビックリを前に、泣いたり戸惑ったり迷ったりしながら、なんとか日々を重ねていきます。

この物語は信じられないような奇跡が目玉ではないし、キラキラとまぶしい魔法がかけられることもありません。そういう意味でも、とても普通なのです。

ただひとつ、ちょっと普通じゃないのかもな~と思うのは、マットとニコルには二人に共通するデインという友達がいることです(いや、それも普通???)。

でもデインという友達は、一見したところ特別な人には思えないので、やっぱりこれは普通の人びとが登場する普通の人間ドラマなのだろう――、そう思えます。そしてそれは、実はその通りだったりするのです。

映画は、こんなシーンで始まります。2013年の秋、病床にあるニコルと傍らにいるマットは、子どもたちに、ママの命が残りわずかなことをどんなふうに伝えようか相談しています。

「君はどうしたい?」と尋ねるマットに、「ごまかさず、正直に接したい」と答えるニコル。「避けるべき表現のリストがある」と、そのリストを記したメモをマットに読ませます。「“ママは眠る”“ママは旅行に出かける”“ママはしばらく家を離れる”」。

読み終えたマットに「娘たちには現実を伝えたいの」とニコル。つまりニコルは娘たちがこの現実を受け止め、乗り越えていってほしいと願っているのです。だから「あなたから話して。私はあの子たちを抱きしめているから」と。

衝撃を受けたときに娘たちを抱きしめてその悲しみを一緒に受け止め、子どもをやさしく慰めたい。ぎゅっと抱いた腕を通して、でもきっと大丈夫、なんとかなるから! という確信を持ってほしい。

ニコルは母親だから、自分がいなくなったその先、娘たちに強く生きていってほしいと願っているのです。

そこで描かれるのはニコルがメモで用意したような、こうした映画でよく見るような、「ごめんね、ママはしばらく旅行に出かけるの」等というその場をごまかすための言葉ではなく、母親なら誰もが持つ、でもただ甘いだけではない本物の愛情のようなもの。

冒頭数分で、この映画の嘘のなさにぐっと惹き込まれることになります。

マット役のケイシー・アフレックと、ニコル役のダコタ・ジョンソン。愛し合う夫婦。

俳優たちの丁寧で心のこもった演技

ニコルは舞台女優という職業柄なのか、イキイキとしていてチャーミングで人を惹きつける力があります。

演じるのは「フィフティ・シェイズ」シリーズのダコタ・ジョンソン。こんどの彼女はすっぴんのような顔でナチュラルにほほえむ姿が本当に美しく、人から深く愛されることが当然のかけがえのない存在に思え、だからこそそんな彼女が病に命を削られていくことの残酷さが際立ちます。

そんなニコルの傍らにいて、病と闘う妻をじっと見つめるのが夫のマットです。彼はジャーナリストとして高い志を持っていて、「世の中が変わるような記事を書きたい」と考えているけれどなかなか思うような仕事ができず、悶々としていました。

感情が高ぶると貧血を起こすような弱いところがあるけれど、家ではしょっちゅう同僚に悪態をついたりする気難しい面もあります。それでいていつでもどこか飄々としていて、ぽろっと笑えることをいう、そんな人です。

ケイシー・アフレックは、そんなマットを丁寧に心を込めて演じていきます。やり過ぎは一切なし。基本は受けの演技。それでニコルをじっと見つめる場面がなんどか登場します。

表には出せない思いが体全体に充満し、そのあまりの大きさに耐えられず、結果として真っ赤になった瞳に涙がにじんでいる、みたいな。そんな表情に心を掴まれるのです。

ある日マットはニコルを通してデインと出会い、すぐに打ち解けます。

デインは特別にブサいくでもないけれどまあまあ冴えないおじさんで、それでいてやっぱりというわけではないのですが自己肯定感が低くて自分を卑下しがち。いまの恋人と出会うまでは特定の人と長続きしなくて、いいトシをして独身。

スタンダップコメディアンの夢を諦めたいま、量販店で働いています。つまりは恋も仕事もツメが甘くてうまくいかない、いろんな意味でパッとしない男のようです。

そんなデインを、ジェイソン・シーゲルはめっちゃ巧みに演じていきます。『ザ・マペッツ』で製作総指揮・脚本を務めるなどつくり手の面も持ち合わせていてコメディ演技はお手のもの、な俳優さんです。

それだけに、というのか決してツボは外さず、基本的に肩の力が抜けていてナチュラルでそこはかとなくコミカル。

デインは手一杯なニコルとマットに代わって娘のモリーとイーヴィーの世話を買って出るのですが、子どもたちとのやりとりはくすっと笑えていつでも愛情を感じさせます。

デインを演じるジェイソン・シーゲルがナイス。モリーを演じる子役も、しっかり者の長女で冷めたところもあるけど、ママの前ではまだ無邪気な甘えん坊、みたいなバランスがいい感じ。

原作はエッセーで、事実に基づいているからこそいちいち説得力のあるエピソードが時間軸もバラバラに描かれていきます。

マットとニコルはどんなふうに愛し合っていたのか? デインとマットの関係は? なぜデインは、恋人も仕事も放り出してマットとニコルを助けようとするのか?

丹念なエピソードがしだいに観る者の心に降り積もり、それぞれのキャラクターが立体化していきます。

やはりタイトルの通り、デインの存在がこの物語のキーです。彼は心ない人から見たら、負け犬! と烙印を押したくなる人物かもしれません。実際、そんなシーンもあります。

でもその在り方は普通じゃない。映画の冒頭、マットとニコルが娘たちにニコルの余命がそう長くないことを知らせる場面で。

デインは部屋には入らず、ポーチにひとり、彼らの痛みや苦悩を思いやって祈るようにそのときを待ちます。

そんなふうに寄り添ってはいるけれど決して踏み込み過ぎず、いつでも無条件に彼らを思いやる。そんな友達関係は、実はそう簡単には成立しないものに思えます。

それでいてマットとニコルも、不完全な自分を抱えながらそれぞれがそれぞれを思いやります。

そんな姿を見ていて、「え、そんなに?」と自分で驚くほど心を掴まれていました。不思議にも思いましたがそのすぐあと、ああ自分の心がずいぶん弱っていたのだと気づいたのです。

もしこれがコロナ禍でなかったら、ただ美しいだけの物語と思ってしまったかもしれません。

でも完全ではないごく普通の人びとが、大事な人の厳しい状況を前にして自分も痛み苦しみながらベストを尽くしてその日を生きようとするさまは、どう考えても異常な状況である現実の下で観ると、よけい心に響くものでした。

大事な人を大事にする、そんな普通のことがどうしてこんなに難しいのだろう? と考えてしまう日々のなかでは。

マットとデインの間にあるもの、それがいちばん普通じゃない!

文・浅見祥子