堅実女子ニュース&まとめ 【派遣女子・更新なし】派遣歴10年、自覚なしの崖っぷち!自称“自由人”は転職も結婚も先送りで夏フェスへ~その2~

かつては自分の時間が欲しい、自由な時間を謳歌したいという女性たちに支持された派遣という働き方。今回は、都内で派遣社員をしている山田美香子さん(仮名・35歳)にお話を伺いました。

新潟県新潟市で生まれ育った美香子さんの実家は、プラスティックの部品などを手掛ける金型工場を経営しています。工場で専務を務めていた父と、事務員の母、3歳年上の兄の4人家族で育ちました。家族経営で始めた小さな工場だったのですが、デジカメやPCなどの備品製造の需要が高まり、今は従業員数が50人ほどの中小企業に成長しました。

「実家が安定しているので、何かあったら新潟に帰ればいいやって考えながら、ずっと東京で過ごしてきましたね」と語る美香子さん。

10代の頃はグラフィックデザイナーを夢見ますが、美術が苦手だったため、大学は外国語学科に進学。卒業後は洋服や雑貨を扱うセレクトショップの企業に入社します。しかし物流部門に配属となり、在庫管理や発注システムの入力業務など、ルーティンワークに飽き飽き……。職場の人と遊びに行った野外フェスがきっかけで、“自由に好きなことをして生きていこう”と、退職を決意します。退職後は、グラフィックデザイナーになるための勉強を始め、職業訓練学校に半年通い、グラフィックソフトの使い方を学びます。

「ハローワークに来ていた求人で、小規模のデザイン会社に就職しました。せっかくフェスに行けるような職業になったのに、有休も自由に取りづらかったんです。繁忙期は土曜出勤も当たり前で、熱があっても解熱剤を飲みながら会社に行くような日々でした」

不自由さを感じ出した美香子さんは、デザイン会社で働きながら派遣会社に登録をします。“前もって言えば休みも取れる”とコーディネーターから言われ、デザイン会社を退職。短期派遣で働いたのち、ネット向けのニュース配信などを行なっているプロバイダ会社で派遣として働くようになり、現在に至ります。

「デザイナー職の場合、高時給の案件も多かったので不安はなかったです。それよりも、社員時代の“休みの申請をしなければならないけど、取れなかったらどうしよう”というプレッシャーの方がつらかったです」

実は2年前に母親が脳梗塞で倒れてしまい、現在は無理ができないため兄嫁が同居して介護をしています。

「幸い、処置が早かったので大事には至らなかったんですよ。実家の工場は今は父が経営していますが、もうすぐ3歳上の兄夫婦が継ぐ予定なんです。これまではフェスのために毎年夏になると帰省して、実家のクルマを借りていたのですが、今年は介護を任されている兄嫁から、“うちはレンタカー屋じゃないんだけどな~”って嫌味を言われたんです。“東京にいて介護も何もしない”と批判されるので、この頃は実家になるべく帰らないようにしています」

追い打ちをかけるように、元カレから言い渡された別れ……

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