ライフスタイル 【ネタバレ注意】ファイナル目前!『バチェラー・ジャパン』4代目バチェラー黄皓さんが求める”真実の愛“とは?〜その1〜

2021年11月25日(木)からAmazon Prime Videoで独占配信中の婚活サバイバル番組『バチェラー・ジャパン(以下:バチェラー)』。シーズン4のバチェラーに選ばれたのは、2020年に配信された男女逆転の『バチェロレッテ・ジャパン(以下:バチェロレッテ)』シーズン1にも参加された黄皓(こうこう)さんです。最後のふたりまで残りましたが、ファイナルローズを受け取ることはできませんでした。

バチェロレッテ参加時から「この人はバチェラー向きでは?」と言われるほどすべてにおいてハイスペックな黄さんがバチェラーとして戻ってきたのです! 「バチェロレッテでは、本来の自分を出すのが遅すぎた」という黄さんは、バチェラーでは最初から本能のままに行動する姿を見せています。見ているこちらが恥ずかしくなるほどセクシーなデートも…。

素をさらけ出して臨む黄さんの異性に対するアプローチ方法について伺いました。

※本記事は一部ネタバレを含みます。ご注意ください!

黄皓(現在35歳)さん。4代目バチェラー。10代のときに中国から来日。4か国語を操る。早稲田大学を卒業後、大手商社での勤務を経て起業。オンラインフィットネスサービスを提供する会社、サブスク型パーソナルジム・エステを運営する会社、上海を拠点にアパレル関係の貿易と物流を行なう会社の3社の代表を務める。

バチェラーは、好感度爆上げ対決ではない

--バチェラーに選ばれたときにどんな感想を抱かれましたか。

「率直に自分でいいのかなぁという気持ちでした。もちろん嬉しい気持ちもありましたが バチェロレッテでいち参加者だった自分にバチェラーが務まるのかなという不安や、結婚を真剣に考えるからこそ、国籍に対する不安もありました。 ただ、バチェロレッテで感じた後悔や自分を成長させてくれたこの旅で、今度こそ自分をさらけ出して真実の愛や将来のパートナーを見つけたいという気持ちも。それで参加する決心ができました」

--不安がある中で、バチェラーの旅に期待できた理由はどんな点ですか。

「一度しかない人生の中で、人とは違うワクワクや刺激や出会いを求めて生きてきました。結婚はフィーリング、タイミング、ハプニングが必要だと思っていて、バチェラーにはその中でもタイミングとハプニングが存在していると思うので、参加を決意しました。あとは旅を続ける中でフィーリングが合う人がいれば、完璧ですよね。それにバチェロレッテでは自分らしさを出しきれず、恋に敗れた経験があります。だからこそ今度はありのままの自分を出して素敵なパートナーと出会いたいと思ったんです」

--「自分を出せなかった」というのは、素の自分を見せる怖さとかがあったんでしょうか。

「本当の自分じゃなかったというのは、厳密にいうと正確ではなくて。(福田)萌子さん(初代バチェロレッテ)との旅では、彼女がどんな人を求めているのかというのを考えてコミュニケーションをとっていた自分がいたんです。萌子さんと過ごす時間はすごく限られているから、心の距離を縮めるには彼女に合わせるのがいいと思いました。普段の自分なら、ここで笑わせたり、違うアプローチをするという場面でも、それは萌子さんにとってプラスなことなんだろうか、と考えてしまっていたんですね。

だからといってウソの自分ではなくて、自分が持つコミュニケーション方法のひとつを出しただけではあります。ですが、あとから考えたときに本当にあの側面しか自分はないのかなと思ってしまって。嫌われてもいいから、もっと違うアプローチの仕方があったのではないかと後悔が残ったんですね」

―――バチェロレッテを見ていたときに、ほかの方に比べるとグイグイいく方ではない印象がありましたが、黄さんは好きな女性に合わせてアプローチをされる方なんですね。

「グイグイいくことが彼女との信頼関係を深める行動とは思えないと感じていた部分もあります。ドンと構えて堂々としているほうが萌子さんとの場合は最適だと思っていたんです。彼女に素敵だと思われるには、どうするのがいいのか考えた結果の行動でしたね。僕は女性との接し方に限らず、コミュニケーションの幅は広いほうだと思います。相手の話すスピードが遅ければ合わせますし、早口の方とは早口に。強気の人にはいじることもあります。そこは自分でも見極めが上手にできると思っていますね。だから、萌子さんという女性に合わせて僕が持つコミュニケーションの引き出しから最強の武器だけを出して、ほかは出さなかったという感じなんです」

―――そういうコミュニケーション能力は、どこで身につけたんですか。

「元々性格的に人を気にかけるタイプではあるんです。あとは外国籍として日本にやってきて生活するということは繊細なことだったのも理由としてあります。言葉が通じない僕にとって周りに溶け込むというのは、とても大変なこと。言葉や国籍の壁を感じていたから、どちらかというとコンプレックスが強くて『こうやったら嫌われない』とか『グループの中に入れるか』を常に考えながら行動していました。その中で自然と身に着けていったんだと思います」

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