恋愛&結婚 地元と母と過去、すべてと決別! 40歳女子のコロナ禍上京物語~その1~

東京都によると、都の人口は 5か月連続で減り続けているという。2020年12月1日現在の都内の人口は推計で1396万2725人であり、11月と比べると1000人余り減っている。リモートワークの導入でオフィスに近い都会に住む必要がなくなり、住環境がいい地方を選ぶ人が増えているのだ。

そんな中、東北のある地方から、地元を捨ててやってきた山本紗香さん(仮名・40歳)にお話を伺った。高校卒業後、地元のホテルに勤務すること22年。「仕事はそのホテルでしか経験はありません。それに、東京は怖いところだとずっと聞かされて育っていたので、かなり勇気が必要でした」という。

なぜ、コロナ禍の中「怖いところ」である東京に出てきたのだろうか?

東日本大震災と新型コロナの大きな違い

地元のホテルに22年間も勤務してきたというのに、紗香さんの貯金は100万円しかない。

「すべて母親に渡していたからです。私の父が有名なろくでなしで、私は母に“あんたがいなければ、私は自由になれた”と言われながら育ちました。高校の頃からバイトをしていたのですが、その頃から給料は母に渡して管理をしてもらっていました。そんなものだと思っていたのです」

お金も時間も母親が管理しているので、友達も少なく、何かをやりたいと思っても諦めるクセがついていた。家事も何もかも紗香さんがやっていたという。

「父は私が生まれるとすぐに、女性と東京に駆け落ちしてしまったそうです。母親は、もともと埼玉県の人なのですが、親の反対を押し切って、父と結婚して、父の地元に来ました。友達も誰もいない中で、出産と育児をして、母は苦労している。だから、苦労をかけたぶん、頑張らなくちゃと思っていました」

紗香さんと母は、生活保護を受けていた。

「父がいなくなってからは、母子寮に入っており、そこを経て市営住宅に住んでいます。私が働いているからって、母は一切の家事をしない。私が何か料理をつくると、必ず文句を言う。そんな生活をずっと続けていて、このまま死んでいくのかな……と思ったんです」

東日本大震災のときは、地元から出るのが怖かった。でもコロナ禍になって、地元を出ようと思った。

「震災のときは、地元に知り合いが多く、あれこれ助けてくれる人がいたので、なんとなかると思ったんです。周囲には農家も多いので、食ベ物には困らないことも大きかった。職場の人間関係も良好ですし、ホテルは成長事業の代表格ですから。しかし、コロナは人に会えない。助け合うこと、励まし合うことが感染拡大を広めてしまう。いつ終息するか、誰もわかりませんしね。」

母親とステイホームすることが受け入れがたかった

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