恋愛&結婚 長女にかけられた毒母の呪い…人生を取り戻す簡単な方法~その1~

母親のスパルタ教育で、子供時代がなかった

二人の仲が順調そのものだっただけに、「YES」と言われることを当然と思っていた克也さんは、ひどく落胆したようです。

それでも精一杯の力を振り絞るように、「真由子さんがその気になるまで待つ」と言ってくれました。そして二人はお互いに、気まずい空気のまま、その日はそれぞれの家に帰っていったのです。

真由子さんが、克之さんのプロポーズにはっきりとした返事ができないのには、理由がありました。それは真由子さんが九州を出て、東京に転職をしてきたことと関係することでした。

真由子さんの実家は、九州のある町でスタッフを10名程度抱える法律事務所を開いています。父は東京の有名私大の法学部を出て弁護士になり、東京で活躍した後、地元に戻って開業。

38年前、父と交際していた当初の母は、父が東京時代に勤めていた法律事務所でアルバイトをしながら、司法試験合格を目指していましたが、父と恋に落ち、結婚。しかし、父は代々弁護士の家系で、九州に戻ります。地元に戻ってから、真由子さんと妹の二人の娘を出産。東京生まれ・東京育ちの母にとっては、縁もゆかりもない土地での結婚、育児はとても大変だったそうです。

しかも嫁の責任は重く、娘の学校の成績の良し悪しが、母親の評価とセット。もともと母は努力家ということもあり、教育は苛烈を極めたようです。

特に、真由子さんは長女ということもあり、「将来は父の弁護士事務所を継ぐに相応しい女になれ」と勉強はもちろん、習い事や家庭でのしつけなどが厳しく、友達と遊んだ経験がほとんどなかったとのこと。

やがて高校生の頃になると、真由子さんは、そんな母親の存在を重苦しく感じるようになります。ことあるごとに、「あなたは弁護士になれ。父の事務所を継げ。相応しい男性と結婚しろ」……そう言う母に、敵意さえ感じるようになっていったのです。

一方、妹は次女ということもあって、母親のプレッシャーを受けずに、自由奔放な生活です。そんな自分と妹への扱いの差も、真由子さんは許せませんでした。

そんな真由子さんがとった、母親への最初の反抗は、母親に言わずに、旧帝国大学の大学入試の願書を提出しなかったことです。そして、九州内のデザイン系の専門学校へ進学すると言い出したことでした。

そのときの母親の怒りの形相は、今も真由子さんは忘れないそうです。幸い、それまでは教育についてはほとんど口を挟まったから父が、そのときは母親をたしなめてくれたこともあり、真由子さんは希望どおり専門学校への進学をすることができました。

そんな母親との確執が、実は今もまだ続いていることを、克之さんには話せていません。真由子さんが、プロポーズに返事ができていない理由が、この母親との関係だったからです。

小学校時代、真由子さんは1日5時間勉強して、学年トップを維持していた……いや、させられていた。

自分の思い通りに行動しない娘に対して、母の支配は狂気的になっていく~その2~に続きます。

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